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>もっとこうガツンと来るもんがないつーか、パト2が描き出した未来に対する言いようのない不安と期待が、後にオウムで的中しちゃうような何かがね。
まーそれはさすがに期待しすぎか。
これはエデンという作品がとか、神山監督がどうのというより、的中させた押井守が凄すぎただけなんですけどね(^^;
ただ、甲殻のときもそうだったんですが、神山監督の手腕というか作家性みたいなもんが「プチ押井」的な器に留まっているように感じるのが個人的にちと寂しい気がします。
ヒット作つくるのに押井守ほどの感性はいらない、むしろ余計だってのは、マトリックスあたりが証明しているんで塩梅としては丁度いいのかもしれませんが。
なんと言うか、アニメの若い作り手のトップのレベルが、先行世代からどんどんと「こじんまり」していってるように感じてしまうので。
どっかの善良な市民の人が、ハルヒを賞して「オタクに優しいエヴァンゲリオン」って言っていたんですが、
東のエデンって結局のところ「ニート(幻想のモラトリアムを生きる人)に優しいパト2」でしかないのかなあと。
パト2のときは、犯人に「おまえら(自分たち日本人)が享受している平和なんて欺瞞なんだよ」と横っ面を引っ叩たかせた上で、あえて社会のなかで生きてきた人間が体制に逆らって「自分たちの信じる正義や平和」を守るみたいな描かれ方がされてたんですが。
エデンでは、ミサイル発射した側はある程度、実社会を生きて打ちひしがれた人間で、阻止した側は全員がニート(社会のなかで生きることをしていない人間)というあたりが、想像力の後退というか、精神年齢の低さみたいに思えてしまう。
作中では、ネットというシステムを介してのニートの可能性みたいなニュアンスで希望らしきものを描いているんですが、ある程度社会のなかで生きてきた人間からすると、あるいは、かつてパト2を見た人間からすると、どうしても甘いなあと感じてしまうんですよね…。
(まあ、劇場版がひかえているので、それが最終的な結論ではないのかもしれませんが)
監督自身も意図しているところではあるんでしょうが、東のエデンって、よくも悪くも「精神年齢20代前半向けアニメ」なんでしょうねえ。
OP洋楽で、主人公映画に詳しくて、ロボット乗らない代わりに魔法の携帯つかって、自分だったら世界を救えるみたいな厨房的な感性は持っていないというくらいの自意識。
ただ、このゲームを仕掛けたのが、戦後の日本を影から操ってきた爺さんってのがガチな真相なら、そこらへんが想像力の限界みたいな。
まあ、作品として物足りないと思う部分はあるんですが、メタレベルで考えると、この作品ってノイタミナという深夜アニメ枠で、オリジナルでありながら高視聴率を獲得するって「業界的な希望」は見せてるんで、今後のビジネス的な展開を成功させて、「閉塞したアニメ界を救う」くらいの期待はしてもいいんじゃないかと個人的には考えてます(^^;
この作品が、監督が言っていた「お茶の間にもう一度アニメを」ってものの足がかりになるなら、それこそ「小っちゃな希望」ではあるなあと。
PS
ミニ巫女の感想には、さらなる期待をしてますんで(^^;
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